よせふで いつげんが説く
中学生・高校生への“弁証法”講義

三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を
中学生にも分かるような易しい具体例で説いていきます

少しの間お休みします

弁証法を学びたい、中学生・高校生のみなさん、この二ヶ月にわたって弁証法の基本を、中学理科を素材にして説いてきました。まだまだ理科の全分野を網羅していませんが、残念ながら、少しの間お休みさせていただきます。理由を端的に言うと、私が引っ越しするからです。引っ越しが完了した後に再開する予定です。遅くとも4月の中旬頃には再開できるはずです。

4月以降は引き続き理科を素材として扱いますが、それが一通り終わりましたら、社会の内容を取り上げたいと思います。他にも英語や国語(特にことわざ)なども適宜取り入れ、中学生の方にも高校生の方にも、一般教養の基礎の基礎と直接に弁証法の基本がしっかりと学べるように説いていく予定ですので、楽しみにしておいてください。

それまでの間、特に私が塾で教えていた新大学生に向けて、入学後すぐにでも読んでほしい超おすすめの本を二冊は紹介したいと思います。私のもう一つのブログで、です。この"弁証法"講義の読者のみなさんも、以下のブログをチェックしていただけるとありがたいです。

寄筆一元修行日誌

では4月にまたお会いしましょう。

物質の振動と音

今回は、物質の振動と音との関係を考えてみましょう。

前回までに勉強したことから考えると、物質が振動しているから、私たちはそれを音として感じることができる、といえますね。つまり、振動が原因で、音がその結果である、と。

しかし、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)には、「さらにつっこんで考えてみる」必要性が説かれています。その部分を引用してみましょう。

「外部の原因から結果が媒介されるだけでなく、結果として生れる現象の内部にもまた原因のあることを考えなければならなくなります。」(p.93)



これは「因果関係の構造」と題した項に書かれてある文章です。つまり、原因は外部だけでなく、内部にもある、ということです。

今回の振動と音との関係で考えてみましょう。確かに「音」を感じるのは、外部に物質の振動があるからです。しかし、それだけではないのです。物質の振動が耳に届いて音を感じるわけですが、耳に音を感じる機能があるからこそ、音を感じるわけです。音を感じる機能というのもまた、音を感じる原因であるのです。

したがって、何らかの障害でこの機能を失ってしまうと、いくら外部に振動があっても、音を感じることはできません。また、正常な耳の機能を持っていても、以前学んだように人間の耳に聞こえる振動数の範囲は決まっていますので、その範囲外の振動であれば、音を感じることはないのです。

因果関係の構造というのはこのようなものですので、原因と結果を考えるときは、常にこの項に戻って、しっかりと構造をつかむ訓練をするようにしてください。

ふりこの等時性

前回までに、光や音に関して、その波としての性質を検討してきました。波というのは振動ですね。そこで今回は、観察しやすい振動であるふりこについて学んでいくことにしましょう。

ふりこというのは、糸やひもに重りをつるして、支点を中心にして振れるようにしたものです。実はこのふりこの運動には法則性があります。それをイタリアの科学者であるガリレオ・ガリレイが発見しました。念のためにガリレイについて、『学研 ニューワイド学習百科事典』の記事を引用しておきます。

ガリレイ(Galileo Galilei)
イタリアの物理学者、天文学者(1564-1642)。ピサ大学・パドバ大学教授。ピサに生まれ、ピサ大学で医学を修めた。数学や物理学に興味をもち、在学中に寺院のシャンデリアの振れ方から振り子の等時性を発見。また、ピサの斜塔で落体の実験を行い、アリストテレスの力学の誤りを実証した。1609年ガリレイ式望遠鏡を製作し、太陽の黒点,月の表面の凹凸、木星の衛星を発見。これから地動説を熱心に唱導したが、宗教裁判にかけられ地動説の放棄を命じられた。1632年「天文学対話」を著したが、異議が出てローマに幽閉され、数か月後に釈放されたとき、「それでも地球は動く」とつぶやいたと伝えられる。1638年「新科学対話」を著し、慣性の法則・落体の法則を記述。自然科学の父といわれる。ガリレオ。



ふりこの運動にある法則性というのは、この記事にもある「ふりこの等時性」というものです。では、ふりこの等時性とは何でしょうか?

ふりこというのは揺れる幅や重りの重さによって、1往復に要する時間が変わるように思われるかもしれません。でも、実はそうではないのです。ふりこの1往復の時間は、振れる幅や重りの重さに関係なく、ふりこの長さ(支点から重りまでの距離)によって決まっているのです。これがふりこの等時性です。簡単にいうと、振り子がたとえ大きく振れていようが、小さく振れていようが、1往復にかかる時間は全く同じであり、また、ふりこの重さが重かろうが、軽かろうが、1往復にかかる時間は全く同じなのです。

このふりこの等時性は、一種の法則です。毎度くり返しますが、法則について、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)から引用しておきます。

「……一定の領域で起るいろいろな現象はそこをつらぬく基本的な、普遍的な、必然的な関係の上に立っていることがあきらかになります。この関係を認識の中にすくいあげたものを法則とよんでいます。」(pp.21-22)



ふりこの等時性についていえば、1往復にかかる時間と、振れる幅・重りの重さ・ふりこの長さの関係について問題になっています。1往復にかかる時間は、振れる幅や重りの多さとは無関係であるが、ふりこの長さによって影響されるということです。

だから、ギターの弦を強くはじこうが弱くはじこうが、1往復にかかる時間は弦によって決まっており、したがって振動数も同じだから音程も同じになるわけです。また、ふりこ時計は、このふりこの等時性を利用して時間を刻んでいます。

今回はまた一つの法則を取り上げました。法則が出てくるたびに『弁証法はどういう科学か』の記述に戻り、『弁証法はどういう科学か』の法則の箇所を読むたびに、具体的な法則をパパッと10個くらいはいえるようにして、認識ののぼりおりをくり返してほしいと思います。

音の高さ

今回は音について学びましょう。特に、音の高さについて、です。

まず、そもそも音とは何でしょうか? 音とは、物質の振動です。私たちが声を出しているときに、のどを触ってみてください。振動しているのがわかるはずです。また、太鼓を叩いたり、ギターで音を出して利するときは、太鼓の皮やギターの弦が振動してるのです。こういった振動が、空気の振動を生み出し、私たちの耳にその空気の振動が伝えられて、鼓膜が振動し、それが音として感じられるわけです。

では、音の高さはどのようにして決まるのでしょうか? わかりやすい例として、ギターの弦を考えていましょう。ギターの弦をはじくと、音がします。よく観察すると、弦が上下に振動していることがわかります。実は、この振動するスピードによって、音が高く聞こえたり低く聞こえたりするのです。

一秒間に振動する回数を振動数といいます。単位は、Hz(ヘルツ)を使います。たとえば、440Hzというのは、一秒間に弦が440回振動しているということです。この振動数が多いほど音は高く聞こえ、逆に振動数が少ないほど低く聞こえます。440Hzは「ラ」の音に相当します。倍の880Hzになると、一オクターブ高い「ラ」の音です。一般に、振動数が倍になれば、元の音より一オクターブ高くなります。

少し余談になりますが、蜂は1秒間に約200回羽ばたくので、その音は約200Hzです。また、蚊は1秒間に約500回羽ばたくので、その音は約500Hzになります。ですから、蚊の方が高い音を出すのです。夏に耳元を飛んでいる蚊の不快な音は、蚊の羽ばたく回数が原因で生じているのですね。

さて、本題です。人の耳に聞こえるのは、20〜20000Hzの範囲であるといわれています。すなわち、1秒間の振動数が0から19までは人の耳に聞こえないのに、20を超えると聞こえるようになり、20000を超えると再び聞こえなくなるのです。振動数の量的な増加が、人にとって聞こえたり聞こえなかったりという質的な変化をもたらすのですから、これは量質転化の一例ということができますね。

もう少し詳しく検討してみるならば、これは媒介関係における量質転化であるということが分かります。振動数が増えても、その振動自体の性質が何か変化するわけではありません。三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)にある、モルヒネとかコカインのような薬品と同様、人体との媒介関係において質的な規定を受け取るわけです。ですから、媒介者が変われば、量質転化の結節点も変わるのです。

例えばコオモリは、1000〜120000Hzの範囲の振動を「音」として捉えることができるそうです。結節点が人とはずいぶん違いますね。コオモリは人には聞き取れないような振動数の多い音(これを超音波といいます)を出して、物体にあたって反射してきた超音波を捉えて物体の位置を知り、それにぶつからないように空中を飛び回ることができます。漁船が魚を探すときの魚群探知機も同様に、超音波が物体にあたって反射する音を利用しています。

というわけで今回は、音の高低に関する量質転化を取り上げました。今日はここまでにしましょう。

光の波長

今回は光の波長について勉強します。

太陽光はプリズムで分解すると、連続した色の帯が現れます。赤、だいだい、黄、緑、青、藍、紫の七色です(もちろん、連続していますから、他にいかようにも区別できます)。プリズムというのは、ガラスでできた三角柱だと思ってください。このプリズムに光が進入すると、進入する際と出て行く際に二度屈折しますが、二つの面は平行ではありません。このことによって、太陽光に含まれる屈折率の違う様々な光がうまく分解されるような仕組みになっているのです。なお、雨が降った後の空にできる虹は、空気中の小さな水滴がプリズムと同じ働きをして、太陽光を7つに分解した結果できるものです。

さて、光というのは波としての性質も持っています。波の山から山、あるいは谷から谷までの長さを波長といいますが、プリズムで分解した七つの光は、それぞれ波長が異なっています。波長の量的な変化が、色の変化という質的な変化をもたらすのですから、これは量質転化ですね。

赤や紫の外側にも、目には見えないのですが光の仲間が存在しています。このことは、1800年にイギリスのハーシェルという人が確認しました。彼はプリズムで別れた光の帯に温度計を置いて、どの色の光が一番高温であるかを検証していました。すると、何と、赤色の光より外の、何もないと思われた部分が一番高温だったのです。さらに翌年、ドイツのリッターが、紫色の外側にある種の物質を置くと、黒く変色することを発見しました。こうしたことから、太陽光には、目に見えない部分にも光が含まれていることが分かったのです。ちなみに、前者の熱を運ぶ性質がある光を赤外線、後者の物を変化させる性質がある光を紫外線と呼びますね。

目に見える部分の光を可視光線といいます。可視光線より波長が長いのが赤外線で、短いのが赤外線です。波長が短くなるにつれて、つまり量的に変化するにつれて、見えない光が見えるようになり、また見えなくなるのですから、これも量質転化ですね。赤外線は熱を伝えますので、人が近づくと自動的に開くドアや感応式の信号などに使われるセンサーは、人や車が出している赤外線を感知するようになっています。また、日焼けして皮膚が赤くなるのは赤外線の影響です。このように、波長の量的変化に伴って、単に見えたり見えなくなったりするだけでなく、光そのものの性質も、熱を伝える性質から物を変化させる性質に変わったりしますので、そういう意味でも量質転化です。

光の仲間は実はこれだけではなくて、もっとあります。波長が長い方から並べると、電波、赤外線、可視光線、紫外線、X線、ガンマ線となります。X線というのは1895年にドイツのレントゲンが発見した光の仲間です。物質を透過する性質などがあるので、レントゲン写真等に使われていますね。波長が短くなると、このX線のような性質を持つようになるのですから、これも量質転化ですね。

以上のように、光の持つ様々な性質は、波長の量的変化によってもたらされた質的変化である、ということができるでしょう。

ガラスに映る二重の像

今回も引き続き、光の屈折と反射の問題を扱います。

町中を歩いていると、ガラスに自分の姿が映ることがありますね。これは、光がガラスに反射しているからです。ところが、ガラスには自分の姿だけでなく、その向こうにあるものも映っています(映っているというより、透明なガラスだから、向こうが透けて見えているといった方が正確かもしれませんが)。つまり、ガラスには自分も含めてこちら側の世界が反射していると同時に、ガラスの向こうの世界が屈折しつつも貫通してこちら側にきているわけです。このようにガラス上には、対立物の統一として、二つの世界が同時映っているのです。

しかし、ガラスに映っている自分の姿を眺めているときは、背後にある向こうの世界は見えていません。逆に、ガラスの向こうを見ていると、ガラスに映っているはずの自分の姿は見えなくなってしまいます。人間は、一つのものしか焦点を合わせられないからです。

観念的二重化というのも、これと同じような構造になっているのかもしれませんね。実際には世界が二重化しているのですが、一つの世界しか意識できない、ということです。

今回は少しまとまりがありませんが、以上です。

全反射

今日も光の進み方について学びましょう。

ガラスの中を進んでいた光が空気中に出るとき、前回学んだように屈折します。と同時に反射もします。屈折と反射を、対立物の統一としてつかむ必要があります。

ガラスと空気の境界面に対して垂直な線と、光の進む直線がつくる角度を入射角といいましたね。さらに、同じ垂直な線と、屈折した後の光の進む直線がつくる角度を屈折角といいます。ガラスから空気中に光が進むとき、入射角<屈折角、入射角=反射角になります。

すると、入射角が大きくなっていくと、屈折角がどんどん90°に近づいていき、ついに90°を超えるときがやってきます。しかし、屈折角が90°以上ということはあり得ませんね。屈折角が90°ということは、ガラスと空気の境界面に沿って光が進むということですから、これより大きくなってしまうと、空気中に光が出ないことになってしまいます。さらに、入射角が大きくなっていくと、屈折する光に比べて反射する光の割合が急激に増加していきます。結果として、入射角がある一定の大きさより大きくなると、屈折せずに、全部反射するようになるのです。これを全反射といいます。

この全反射を弁証法的に捉えると、量質転化ということになります。入射角が量的に増加すると、ある結節点を超えたところで、屈折しないという質的な転化がもたらされるからです。ちなみに、この結節点となる入射角のことを臨界角といいます。

この全反射を利用した情報通信機器があるのをみなさんは知っていますか? それは光ファイバーです。光ファイバーはきわめて細いガラス繊維でできています。そのガラス繊維の中を光が進むわけですね。光ファイバイーが曲がっていても、全反射によって光が外に出ることなく、その内部を進んでいくような仕組みになっているわけです。光ファイバーは、従来の銅線の同軸ケーブルにくらべて軽量で、数万倍の情報が送れるそうです。人間は無意識的であっても、弁証法の法則を利用しているのですね。

光の屈折

今日は、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)に登場するある現象について学びましょう。まずは引用からです。

真理はある一定の条件ものとにおいてのみ真理であって、ある条件の下では誤謬がかえって真理となる。太陽は輝くということは真理である、ただし空が曇っておらぬことを前提としてである。まっすぐな棒は水の流れに突っ込めば曲がるということも、もし視覚的真理ということに限るなら、右に劣らぬほど真理である。……誤謬が真理と異なる点は、誤謬はそれがあらわしている一定の事実に対して、感覚的経験が保証している以上にヨリ大きいヨリ広いヨリ一般的な存在を度はずれに認めるところにある。誤謬の本質は、逸脱ということである。ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。」(p.116)



以前も紹介しましたが、これは哲学者ディーツゲンの言葉です。この文言だけでも、ディーツゲンの実力の凄まじさが分かるというものですね。

さて、この文章の中に「まっすぐな棒は水の流れに突っ込めば曲がる」とあります。なぜだか分かりますか? 実は、光が屈折するためなのです。一般に、光はある物質から別の物質に入るときに屈折します。屈折というのは、進む方向が変わるということです。ですから、水から空気中に光が進むときにも屈折しますので、水に入れた棒が曲がって見えるのです。

これはディーツゲンも言っているように、視覚的にはそう見えるというだけです。すなわち、現象としては曲がっているが、実際は(本当は)曲がってはいないのです。先日、ドロボウと警官の図で少し触れたように、現象と本質は相対的な独立において存在していますから、注意が必要です。見かけ=現象が曲がっているからといって、実際に(本当に)曲がっているのだと短絡的に判断してはいけないのです。

みなさんは小学生の時に、先生から次のような注意を受けませんでしたか? すなわち、「人は見た目で判断してはいけません」と。これは人の外見=現象と、実際の(本当の)その人とは、相対的に独立しているので、現象と本質を短絡的に直結してはならない、という注意です。論理的にいうならば、現象に引きずられるな、という注意であるといえます。一般に初心者や実力のないものは現象に引きずられやすいので、小学生に対してはこのような注意をするわけです。

ところが、話がややこしくなりますが、実は人間の本質というのは知らず知らずのうちに現象してしまうものなのです。したがって、真に実力のある者が見ると、現象からその人間がどんな人間であるか、ということが分かってしまうのです。少し前に、竹内一郎『人は見た目が9割』(新潮新書)という本が売れましたが、まさにこの本のタイトル通りなのです。人の外見というのは、その人間の精神的な分身であり、その人間の認識を読み取ることができる物質的な像=表現なのです。その人の表情、髪型、服装、仕草、姿勢、話し方、歩き方等々、すべてその人の認識の表現としての性格を持っていますから、当然といえば当然なのです。

話がふくらみすぎましたが、今回は、光の屈折を取り上げて、「現象に引きずられるな」というお話をしました。

反射の法則

今日は光の反射について学びます。

光は空気中を直進します。真っ直ぐに進むということです。よく晴れた日に外を歩いていると、自分の影が地面にできますね。これは、太陽からの光が直進しているからです。もし光が直進していないとすると、体を通り抜けた後の光が曲がって地面に届くので、体と同じ形をした影ができることはないはずです。

さて、光が鏡に当たるとどのように進むでしょうか? みなさんがご存じのように、鏡にあたると跳ね返りますね。これを反射といいます。そしてこの反射の仕方には法則性があるのです。例えば、鏡の垂直方向に対して、30°の角度で光が入ってきた場合は、同じ垂直方向に対して30°の角度で出て行きます。前者の角度を入射角、後者の角度を反射角といいます。

そこで、反射の仕方について、次のようにまとめることができます。すなわち、光はどんな角度で入射しても、入射角と反射角は常に等しくなる、と。これを反射の法則といいます。

念のために、三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)で、法則とは何か、再度確認しておきましょう。

「……一定の領域で起るいろいろな現象はそこをつらぬく基本的な、普遍的な、必然的な関係の上に立っていることがあきらかになります。この関係を認識の中にすくいあげたものを法則とよんでいます。」(pp.21-22)



反射の法則というのはまず、入射角と反射角の関係に関する法則でした。この入射角と反射角はは、見かけは違っても基本的には同じ関係に置かれていますし、例外なくいつも等しくなりますし、必ず等しくなります。ですからこの関係は、「基本的な、普遍的な、必然的な」関係といえますね。この関係を認識の中にすくいあげたのが、反射の法則である、ということです。

理科や数学の勉強で法則が登場するたびに、三浦さんの説明に戻って、しっかり確認するようにしてください。

今日は像に関して、相対的独立ということを学びましょう。

みなさんは毎日鏡で自分の顔を見ているでしょうし、虫眼鏡で小さいものを見た経験もあると思います。鏡や虫眼鏡といった道具は、光の反射や屈折を利用して、実物の像を映し出してくれます。鏡は、直接は見ることができない自分の顔(実物)を映し出してくれますし、虫眼鏡は小さくてよく見えないもの(実物)を大きく映し出してくれます。この実物と像(映し出されたもの)は、相対的な独立において存在しています。

相対的な独立というのはどういうことでしょうか? 例によって、三浦つとむさんの説明を聴いてみましょう。

「……きりはなすことができないにもかかわらずその一方がある限界の中では他方と関係なしに変化できることを、相対的な独立において存在するといいます。」(『弁証法はどういう科学か』p.80)



三浦さんは、体積と表面積、本質と現象、写真とその被写体、ある人間とその先祖など、様々な例でこの相対的独立というつながり方を説明していますね。

今回取り上げた実物とその像というのも、相対的な独立において存在しています。なぜなら、像と実物はきりはなすことができないにもかかわらず、像がある限界の中では実物と関係なしに変化できるからです。

例えば、鏡の表面を丸めてみると、像が歪んで見えます。トラックやバスについているサイドミラーを思い浮かべてもらうとわかりやすいかと思います。このように像が歪んだとしても、実物まで歪んでいるということはありません。あるいは、虫眼鏡の場合は、実物からの距離を変えてみると、像が大きくなったり小さくなったりします。しかし、もちろん、実物の大きさは変化していません。

このように、鏡の場合であれ虫眼鏡の場合であれ、実物があるからこそ像を結ぶのですから両者はきりはなせないにもかかわらず、像はある限界の中で実物と関係なしに歪んだり大きさが変わったりするのですから、両者は相対的な独立において存在しているといえるわけです。

相対的な独立ということを弁証法的に捉え返してみると、三浦さんがいうように、これは「つながっていると同時につながっていない」というつながり方だということが分かります。意味が分かりますか? 三浦さんの頭は非常に弁証法的であって、どんな対象も弁証法的に、すなわち対立物の統一として、反映するようになっています。だから、つながりを問題にするときにも、「つながっていると同時につながっていない」つながりとして、反映するのですね。

つながりを問題にするときには、つながっている部分だけ見るのではなく、またつながっていない部分だけを見るのでもなく、「いずれも独立的には真理ではなく、むしろその統一のみが真理である」(ヘーゲル『大論理学』)のですから、「つながっていると同時につながっていない」ものとして、相対的な独立として、捉える必要があるのです。

最後に蛇足を。みなさんは『弁証法はどういう科学か』p.81ページのドロボウと警官の図を見て、どんな感想を持ちましたか? この図は、「本質と現象とは必ずしも一致しないこと、時・所・条件によって時には逆立ちしたかたちで現象すること」を説明するための図です。私はこの図と説明を見て、「本質や現象という論理学上の難しい言葉を含む内容を、これほど易しく分かりやすく説けるとは!」と、三浦さんの頭の良さに感動したものです。ところが、一緒に勉強をしていた何人かは、この図を「幼稚だ」とか「そんなことはない」(?)とか、訳の分からないイチャモンをつけて嘲笑するのです。こんな態度では、弁証法は修得できないということをしっかり理解しておくことが必要です。『弁証法はどういう科学か』の内容は、人類が何千年もかけて築き上げてきた貴重な文化遺産ですから、常に新鮮な感動とともに学び続けられるみなさんであってほしいと願っています。

プロフィール

Author:寄筆一元
1.自己規定:
  三浦つとむ主義者
  自前の認識論構築を目指す
2.最も尊敬する人物:
  南郷継正・薄井坦子両先生
3.近頃気になる人物:
  悠季真理氏
4.趣味:
  ハイレベルの技を味わうこと
5・現状:
  臨床心理士を目指して勉強中

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